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朱鷺

待望のトキの雛が誕生したというニュース。
アナウンサーはさすがに「野生の」という言葉は使わないが、
ほとぼりがさめた頃には何事も無かったように、
「今年も佐渡の野生のトキの雛が生まれました」
なんて言いそうだ。

外国から拉致してきた、縁もゆかりもない個体を見ず知らずの日本の野山に放し、
その個体が飛ぶ風景を見て、悦に浸って自己満足しているようにしか見えない。
トキを里山の生態系に復活させることで、科学的に考えてその費用に見合う効果があるとは
とても思えない。

もっと復活させてほしい生き物は他にもいるだろう。
それとも何か他の目的があるんだろうか?

とにもかくにも、トキの報道を聞くにつけ、
欠伸が出るくらい可笑しくてたまらないのです。

yama

# by enohibi | 2012-04-24 00:03 | yamauchi-memo | Trackback | Comments(0) 

湿り気と不安

休日の良く晴れた昼間。

郊外のファミリーレストランで、
草食動物のように静かに食事をする、親子連れ。
子供は小学校高学年くらいで、女の子。人数は二人。

あたりは騒がしいが、
その家族の周りだけは夜のように静かな空気が漂う。

何故だかわからないが、
そういう光景を目にすると、
湿り気と、それに少しの不安が入り混じったような、
何とも言えない感情が沸き上がってくる。

何故だろう?
親と子で食物を摂取する光景は動物的で、
家族(親子)の本質を見せつけられているように感じるからだろうか。

分からない。
しかしとにかく、
それが自分の意識の深い部分の、何かを刺激していることは
間違いないと思う。


yama

# by enohibi | 2012-04-21 21:09 | yamauchi-memo | Trackback | Comments(0) 

最後の雪

毎年この時期は、
良い結果を手にした人、
まあまあ良い結果を手にした人、
悪い結果を手にした人、
そして去る人。

いろいろな結果を持つ人が混在する中で、
切なさと共に、自分の力の至らなさを痛感する。
実は一年の中でもっとも精神を消耗する時期かもしれない。

どうしようもないことを、
どうしようもないまま指を銜えて馬鹿みたいに見届けるしかできない。
道路脇の、春の日差しに照らされた最後の雪のようだ。

気付けばまだ今年はジンチョウゲの香りに出会っていない。
ほんとうに春は来るんだろうか。


yama







# by enohibi | 2012-03-20 23:41 | yamauchi-memo | Trackback | Comments(0) 

部分と全体

あの日からもう一年が経った。
美味しいものを食べていても、ばか騒ぎをしていても、
記憶の隅にずっと生々しく生き続ける風景。

思うに、事の重大さ、深刻さを本当に実感するには、
出来事の細部をできるだけ細かく知る(そして想像する)ことが必要だと思う。

早春の春の海の冷たさ。
鼻腔に入り込んでくる海水。鼻の奥がつんとする。
そしてそれが肺が次第に満ちてくる。
遠のく意識。
油の臭い。
家の奥の暗闇からの物音。
目の前に次々に迫る危機をやりすごすだけで精一杯。
何が起こったかわからない。
実感が全く無い。
しかし、きっとどこかで生きているだろうという、
楽天的な気持ち。

細部、つまり小さな物語を想像することで、初めて事の重大さの全体像が、
実感として理解できるのだと思う。
個人の物語。細胞の物語。
数字の羅列や、アナウンサーの機械的な説明では、
とうてい無理な話。
(自分の想像力が足りないからか??)

yama

















# by enohibi | 2012-03-11 21:13 | yamauchi-memo | Trackback | Comments(0) 

ド近眼的

困ったことが起きても、周囲に助けを求めないで、じっとしている。
逆に、自分のすぐそばで困った人がいても、気付かない。

こういった「周辺視野が狭い若い人々」が最近増えているように思う。
なぜそういう近眼的意識になってしまうのか、ずっと考えている。
そういう人々の共通点はいったい何なのだろか。

そこで立てた仮説。(というほどの物ではないが、、)

まず幼児期。意識がはっきりしてくると、真っ先に目に飛び込んでくるのはテレビの画面。
そして成長すると、誕生日か何かに携帯ゲーム機を買ってもらう。携帯ゲーム機の画面。
さらに年頃になると、携帯電話を買い与えられる。携帯電話の画面。

個人の人格というか、意識が確立されていく過程で、
身近に接するもの(画面)が、どんどん小さくなっていく。

こういった、成長と共に進行する意識の縮小が、
周辺視野を狭めている原因のひとつなのではないだろうか。

バーチャルな世界で荒野を縦横に駆け回り、
巨大なクリーチャーを鮮やかな剣さばきで倒す。

小さな画面の中で繰り広げられる勇気溢れるダンジョンは、
実生活の中で全く意味をなしていないようだ。

このふたつの別世界のギャップに興味がある。


yama






# by enohibi | 2012-02-08 23:41 | yamauchi-memo | Trackback | Comments(0) 

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